2009年11月08日

今日の出来事

昨日・今日と、とあるお寺で一日過ごす。このお寺は長〜い砂利のアプローチが特徴。ここに朝・夕と箒目を付ける。この時、箒目をつける方向としては縦長につけていくのではなく(この場合往復回数が少なく楽)、横・横・横と短い距離を何回も往復してひたすら付けていかなくてはならない。付け終わるまでに約30分かかる作業(というより修行)。今日の夕方箒目をつけていたら、作業途中で参拝客登場。こちらの心理としては、せっかく付けた箒目なので、極力踏まないように端を歩いて欲しいと思う。しかし、その心客知らず。作業が終わった所で自分がつけた箒目を愛でていると、そのお客は堂々と道の真ん中を歩いて帰っていかれた。もちろんこちらの心理としては、「むきゃ〜っ!私が箒目つけてるの見てたくせにぃ〜!ちょっとは遠慮がちに歩いてくれぇ〜!」となる。が、その心客知らず。胸に去来する虚無感。しかし、箒目の上につけられた足跡を見て、次の瞬間ふっと思った。これが諸行無常っていうやつだよ。不変なものってないって事。変に感動。箒目を付ける作業って忍耐を磨く修行だと思っていたけど、物事のはかなさを知るための作業でもあったわけねぇ、と妙に納得した一日。
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2009年09月23日

情けない感じ


シルバーウィーク最終日。Nei先生のワークショップ2回目の参加。不甲斐なさと後ろめたさが入り混じったもどかしい感じ。WS終了後、公民館の前でNei先生とお話し。先生の言葉に胸を突かれて、なんだか泣きそうになった。自転車で帰る夜道、迷子になった。もうお風呂に入って寝よう。
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2009年09月22日

Rude awakening

シルバーウィーク4日目、夕食を作っていて右手をやけど。以下、2日目と3日目のダイジェスト。

ゴーギャンを観た。

ゴーギャン.jpg
『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』 (1897−1898年)

次にクリムト。

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『パラス・アテナ』 (1898年)

次にシーレ。

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『自画像』 (1911年)

次にココシュカ。

ココシュカ.jpg
『夢見る少年たち』 (1907年)

最後に鎌倉の大仏。

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今日のお土産: 鳩サブレー



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2009年09月08日

更衣室トーク


親指について:
土曜日、メルちゃんとカポエイラへ。更衣室で着替えているとメルちゃんが一言「ねぇ、外反母趾じゃない?」。なぬぅ〜!?確かに以前から親指の付け根部分が痛くなる事があった。しかも親指が内側に曲がっている(しかしそれが普通と思っていた)。でも、ハイヒールなんて履かないし、外反母趾なんて思いもしなかった。しかしここでピンと来た。アフリカンダンスの前半ヨガをやっている時に、いつも先生に「それでは両足付けて立ちましょう。両親指もぴったりつけてくださいね」と言われるのだが、悲しいかな、私は逆立ちしてもそれが出来ない。だから、「そんなこと、解剖学的に無理じゃん。あくまでイメージするってことなのか?」と思っていた。でもそうじゃなかったみたい。メルちゃんは、両親指を問題なくつけれるし。でもどうして外反母趾?お盆に実家に帰った時に、母(推定58歳)と姪(5歳)の3人で足指ジャンケンをして遊んだのだが、その時は何も指摘されなかった。さてはこれは遺伝で、家人は全てこのような親指なのか?今まで注意して見てなかった。今度足指ジャンケンで遊ぶ時こっそり確認しよう(メンタルノート)。

片栗粉との相性:
片栗粉との相性が悪い。先日、メルちゃんから麻婆豆腐のレシピをもらったので、色々と材料を揃えて意気揚揚と調理開始。陳健一気分で鼻歌なんて。ここでとろみの味方、片栗粉の登場。レシピには「水溶き片栗粉 大さじ3杯」とある。ここで何を思ったか、お湯の方が溶けやすいと思い、お湯で片栗粉を溶く。そうしたら、「なんじゃ、こりゃ〜?」。でんじろう先生も真っ青、得体の知れない透明のコブみたいな未知の生命体を生み出してしまった。形状は、子供の頃に見た恐怖映画「人喰いアメーバの恐怖」に出てくるアメーバそっくり(ただ、映画では赤だったのが、透明なだけ)。うきゃ〜!と思いながらシンクにぶよぶよアメーバ廃棄。ここで基本に立ち返る。片栗粉は加熱してこそ糊化して、それがとろみとして重宝されるのだ。私は、それをメインの料理に入れる前に加熱しちゃった。ただのバカ。気を取り直してもう一度。今度は片栗粉大さじ3杯を「水」で溶いて投入。そうしたら、「なんじゃ、こりゃ〜?」(その日2回目)。なんと麻婆豆腐のゼリー寄せができた。落胆、憔悴しきってレシピを見直す。「水溶き片栗粉 大さじ3杯」の横に米印が付いている。いや実は米印が付いていたのは気づいていたのだが、無視していた。よく読むと「片栗粉大さじ1.5杯を水大さじ3杯で溶いたもの」とあった。私は片栗粉を2倍量使っていたわけ。ここで基本に立ち返る(その日2回目)。米印とはそもそも「おもに文章で、ある単語ついて注釈をつける際に使用する。複数に及ぶ場合は、※1、※2などと番号や記号、文字をつけて区別する場合もある」(ウィキペディアより)のだ。そうだ、米印とは著者が読者に注意を喚起するためにつけるもので、本来無視されるべき物ではないのだ。この麻婆豆腐レシピの作者は、「片栗粉大さじ3杯」と勘違いするバカ、いや素人がいる事を見越して、親切にも米印を付けてくれていたのだ。その親切心を私は無駄にしたわけね。自業自得だね。ただの負け惜しみだが、どうせ米印をつけるなら複数つけて、※1では「片栗粉は必ず水で溶くこと」として欲しかった。次がんばろ。

“When We Were Orphans” by Kazuo Ishiguro:
カズオ・イシグロの本を初めて読んだ。彼の本て、第一にタイトルが素晴らしいと思う。今回の本のタイトルは“When We Were Orphans”で、邦題は「わたしたちが孤児だったころ」。ブッカー賞を受賞し映画化もされた“The Remains of the Day”は「日の名残り」という邦題がつけられている。どちらの本のタイトルも英・日ともに素晴らしいと思う。特に、“The Remains of the Day”、「日の名残り」。どちらも響きが良くて、時々心でつぶやいて楽しんでいるくらい。

さて、今回の本。基本は主人公の回想で構成されている。1920年代から1930年代後半の上海とロンドンが舞台。1920年代の上海、主人公が10歳の時突然父親が失踪。次いで母親も謎の失踪を遂げ、孤児になった主人公は大人の事情でイギリスの叔母に引き取られる。大人になって名のある探偵(イギリスって探偵が普通の職業としてあるのかしら)となった主人公は、1930年代後半、両親の失踪の謎を暴き、まだ生きて囚われの身となっていると「思い込んでいる」両親を救出しに日中戦争中の上海に戻る。その運命やいかに?

こう書くと、探偵物とか推理小説な感じがするけど全く違う。読み進めていくうちに、主人公の回想が果たして信頼できるものなのかどうかが分からなくなってくる。両親の失踪の原因(アヘン撲滅運動に関わっていたため)もただの主人公の「思いこみ」なんじゃないかと。主人公が語る全ては彼が無意識に作りあげたもので、自作自演のドラマに周囲を巻き込んでいる雰囲気プンプン。そしてまた巻き込まれている周囲の大人達は、実はとても狡猾で主人公よりも一枚も二枚も上手であり、裏があって主人公の自作自演ドラマに付き合っているだけのようにも見えてくる。主人公がとても子供っぽく見えるのだ。勝手な正義感と「勧善懲悪」の使命感に燃えた空気の読めない困った奴。それが最後、彼の思い描いていた結末(両親のヒロイックな救出劇)とは全く違った展開で、彼の「思いこみ」は無残にもガラガラと崩れ落ち、つらい現実がそれに取ってかわる。両親の失踪の本当の原因なんか耳をふさぐようなもので、特に母親の失踪の原因なんて、読んでいて心の中で「ヒィ〜!」と叫んじゃったくらい酷いもの(当時力を持っていた中国人warlordの妾にされた)。この本では母親と主人公の関係がとても重要で、母親は失踪後も自分の息子に“enchanted world”を望んだわけだけど、ある意味それは望み通りとなった(でもそれが、切ない結末の原因になるわけだけど)。上海のInternational Settlement(租界)で子供時代を過ごした主人公は、その境界線より向こうの世界を知らずに育ち、親友との遊びの中で自分達の世界を作りあげる。それは彼にとって所謂“enchanted world”で、主人公は孤児になり、そして大人になってもその世界(現実から隔離・守られた世界)の住人であり続けたってわけね、きっと。そして最後にその世界が崩壊したと。今度は“The Remains of the Day”を読んでみようと思う。

"When We Were Orphans" by Kazuo Ishiguro↓

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今日の動物: オランウータン
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2009年08月25日

暇なし生活

(非)安息日:
23日日曜日は一日中お仕事。百道浜のスタジオにて。家が近いので自転車でチャリチャリと出動。英・韓・中のナレーション収録。1言語あたり3時間、3言語で9時間の長丁場。英語と韓国語の間は時間がなくてお昼が食べられず、血糖値が急激に下がる。初めはとても元気だったディレクターも目に見えてテンションが下がり始める。私は英語のコーディネートが最初に終わって、後はアテンドしているだけで良かったが、実際現場でずーっと作業をしているディレクターやMAの人は大変。最後、中国語の収録を終えてプレイバックで再確認している時、ディレクターもMAも、アシスタントの女の子も居眠りしているのを目撃。お疲れ様。仕事は面白かったけど、やっぱり休みの日はきちんと休みたいっちゅーのが本音。そして代休は要らないから、休日手当をおくれ。

Matisyahuの"Light":
Matisyahuの新譜"Light"を購入。なんと邦題は「Light/閃光のスペクトラル」!ウルトラマンっぽい。給料日前でちょっと躊躇したけど、3,150円の初回限定盤DVD付きのを買った。そしたら大好きな"Youth"のPVが入ってた。このPVのMatisyahuが好きだ。動きが良い。顔も良い。見入ってしまう。是非ライブが観たい。

"Light" Matisyahu ↓

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今日の一曲: "One Day" by Matisyahu



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2009年04月05日

南アフリカと犬


先程読み終えた本。南アフリカの作家J. M. Coetzeeの"Disgrace"。

アパルトヘイト廃止後の南アフリカ。主人公は白人男性(52歳)で大学教授。ある出来事で大学での職だけでなく社会的地位も失ってしまった彼が、ヒッピー然と田舎の農場で暮らしている娘の所に身を寄せる。そこで起こる出来事の数々。そのエピソード全てが人間や動物の尊厳に関る事で、自分の持っている価値観に見事正面から殴りかかられて呆然とした。なんだろうこの感じ?短い本だけどすごく読み込まないとポイントを見過ごすような。この本に出て来る主人公の娘(白人)が選ぶ道に衝撃と軽い眩暈を私が覚えるのは、同じ国と言えどほぼ明確に肌の色の違いで属する文化・価値観・社会が分けられる環境で、他方が属する土地で生き延びるために受け入れないと(または犠牲にしないと)いけない物があまりにも大きすぎるから。それこそ人間の尊厳を根底から揺るがすような。分かんない。これって、人類学者がフィールドワークに出かけて行って(またはウルルンの山本太郎でもよい)、調査するその土地の人達に受け入れられようと、意を決してその土地ではもてなし料理とされる昆虫料理を食べるのとは訳が違う。この娘が何でそこまでして土地に執着するのかっつーのが本から汲み取れなかったので、そこがまた私の困惑ぶりを助長させたんだけど。これって、ポストアパルトヘイトの南アフリカの現状を知っていたら納得できたのかしら?シフトされた(またはシフトし続ける)白人・黒人の力関係をもっと知っていれば?うーん複雑。南アフリカをもっと勉強しなくちゃだわ。

"Disgrace" by J. M. Coetzee↓

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今日の天気: 晴れ






 
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2009年03月24日

子供と大人とその間


"Paddy Clark Ha Ha Ha"(Roddy Doyle著)は、先月カナダに行った時友達にもらった本。1960年代、アイルランドの小さな町に住む10歳の男の子の日常をその子の視点と言葉で書いたもの。特にこれといったプロットなし。主人公のPaddyが悪がきんちょ仲間といたずらに明け暮れる日々を時系列やらなにやら無視して、思いついたままに細切れエピソードで綴っていく感じ。でも、そんな同じように繰り返す毎日の中でも、彼が住むBarrytownの風景と同じように、彼もその周りも日々変化し成長していく。

この本はそんな子供の日常を面白おかしく描いただけでの本ではなくて、主人公の男の子のちょっと悲しい成長の物語でもあるわけ。中盤あたりから彼の両親の間になにやら不穏な空気が流れているのが、彼の視点を通して伝わってくる。階下でバタンと乱暴に閉められる扉の音や、リビングから漏れ聞こえる口論。10歳の彼は彼なりに理解しようとする。以下抜粋。

"Why didn't Da like Ma? She liked him; it was him that didn't like her. What was wrong with her? Nothing. She was lovely looking, thought it was hard to tell for sure. She made lovely dinners."

"There must have been a reason why he hated Ma. There must have been something wrong with her, at least one thing. I couldn't see it. I wanted to. I wanted to understand. I wanted to be on both sides. He was my Da."

読みながら胸がキュッとなる。結局お父さんは去っていく。大人の事情は分かんないし、この離婚(なのか別居なのか)によって彼の世界も大きく変わるが、Paddyは彼なりに折り合いをつけて前に進んでいく。切ないが逞しい子供のお話。

"Paddy Clark Ha Ha Ha" Roddy Doyle著 ↓

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“Paddy Clark Ha Ha Ha”とは一転。先日ジュンク堂で買った本。

“My Mistress’s Sparrow is Dead: Great Love Stories, from Chekhov to Munro” Jeffrey Eugenides編集 ↓

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Jeffrey Eugenidesの名前につられて手に取ったが、彼の著書ではなく彼が厳選したラブストーリー集。チェーホフ、フォークナー、ナバコフなんかの短編が収められている。チェーホフの“The Lady with the Dog(邦題:犬を連れた奥さん)”は初めて読んだが、十代や二十代で読んだとしたら絶対に「つまらない」で終わっていたと思う。理解できなかったはず。もちろん、今の私も話の時代設定や登場人物の社会的地位とはまるで無関係だけれど、話全体に流れる微妙な雰囲気や登場人物の感情の機微、二人の気持ちだけではどうにもならない事情みたいなのが分かる気がするし、それを味わう事ができる。年の功とやら?ところで邦題の「犬を連れた奥さん」はどうにかならないものなの?ネットで検索すると「子犬を連れた貴婦人」というのもあったが、そっちの方が良い。断然ね。

所で、このJeffrey Eugenides。ソフィア・コッポラが監督した映画“The Virgin Suicides(邦題:ヴァージン・スーサイズ)”の基になった本の“The Virgin Suicides(邦題:ヘビトンボの季節に自殺した五人姉妹)”を書いた人。その後に出た“Middlesex”もすごく良かったんだなぁ、これが。この人の本は注目している。

その映画のサウンドトラックに入っているAirの“Playground Love”がこれまた良い。気だるくて、十代の頃の危うい空気が漂う。映画の中でキルスティン・ダンスト演じるラックスの雰囲気にすごく合う。

"Playground Love" by Air ↓

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今日の一曲: "We just won't be defeated" by The Go! Team
無条件に元気になれる曲。
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2009年03月17日

イケない事


今日、貧乏に更に拍車がかかる。キャッチーなタイトルとキャッチーな表紙のこの本。買わずにいられようか?

「セックスと科学のイケない関係」メアリー・ローチ著↓

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英語の原題は"Bonk: The Curious Coupling of Science and Sex"。うまいタイトル。

数ページしか読んでいないのでなんとも言えないが、セックスを科学的に検証するというより、セックスが学問としてどのように研究されてきたのか、そしてその過程で研究者はどのような偏見を受けてきたのかが面白く書かれている…っぽい。

ところで、オリバー・サックスのエッセイが読みたくてジュンク堂に聞いたところ、イギリス文学のセクションにショボンと置かれていた。なぜ彼の本が文学に分類されているのだろう?謎だ。

今日齊藤さんに勧められた本:「一日一生」酒井雄哉著



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2009年03月11日

これは必然


今月はとても貧乏。月の半分もいっていないが、口座はマイナスであろう事は容易に予想がつくので、泣く泣く秘密の場所からお金を引き出して凌いでいる。

今日、会社を出た時点で財布には2,900円程度しかない事を確認。それくらいかそれ以下しか財布には入っていないのが常だが、今月は大貧乏なので「本当にそれくらいしかないからそれでなんとか数日持たせろ」という意味合いをここで汲み取らなければならない。だけど、お金が限られている時であればあるほど、あるだけのお金で何が買えるかついつい計算してしまう。今日は本が買いたかった。でも一応予算を考えて文庫本を狙っていた。場所は地下街のサンマルクカフェの横の本屋。この本屋(名前が分かんない)、小さいけれどある魔の一角があり、そこで「これだ!」という本にめぐりあう事が多い。テンプル・グランディンの「動物感覚」を見つけたのもこの一角。ここに来たら、必ずその一角をチェックする。今日もチェックしてしまったが最後、ある本の背表紙に「自閉症の少年詩人と探る脳のふしぎな世界」という言葉を見つけてしまった。しまった。でも見ちゃった。恐る恐る手に取り値段をチェック。本体2,200円+税。ここで自分のほとんどない算数能力を総動員。「お財布には2,900円。本は2,300円程度、明日の朝地下鉄に乗るのに200円必要です。では、今日の夕食の買い物にいくら使えるでしょう?」答えは400円。たぶん大丈夫。隣の席のTさんにもらったお蕎麦もあるし。というわけで買った本。

「ぼくは考える木−自閉症の少年詩人と探る脳のふしぎな世界」
ポーシャ・アイバーセン著 ↓

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なかなかに面白い本。自閉症の息子を抱えるアメリカ人夫婦のその決意と行動力に驚く。今の自分の状況(全く違うが)についても色々と示唆されているようで、必然の買い物だったと納得してみる。

今日の一言: 「人はパンのみに生きるにあらず」
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2009年03月10日

帰り道

近頃は歩いて帰る。節約も兼ねる。お濠に映る色々を見ながら。iPodを聴きながら。雨ニモマケズ、風ニモマケズ。

2週間ほど前の帰り道、Big Issueを購入。一昨年からちょくちょく購入している、このブログでも以前登場したおじさんだが、最初の頃とは見違える程変わった。こざっぱりとした身なり、自信に満ち溢れた話し方。雑誌の売れ行きを尋ねると悪くないお答え。そして、自分の仕事の流儀を誇らしげに語ってくれた。これぞプロフェッショナル。なんという変化。バックナンバーを求めたら、「あっ、エンヤが表紙のやつね」って!すごい、すごいじゃないかっ!自分の商品をきちんと把握し、客の信頼を確実に得るそのスムーズな受け答え。そして、おじさんの口からするすると「エンヤ」という言葉が出てくる不思議。

この方が今、自立・自活に向けてどの段階に立っているのか分からないけれど、必ずや大丈夫という気がした。

今日購入のBig Issue表紙: アメリカ大統領バラク・オバマ
posted by R-73 at 21:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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